月の光あれ、眼玉
2012/01/20(Fri)
世は戦でも、胡蝶が舞う、撫子も桔梗も咲くぞ。

天っ守っものがたりぃぃぃぃ〜〜〜〜!!!???


みなさま、あけましておめでとうございました!
過去形です。松の内は遥か彼方です。

おそろしいですね〜、新年はじめの上旬中旬がさくーっと過ぎ去りましたよ。いったいどういうことなんだろう…。
何はともあれ今更ながらではございますが、新しい年の到来を寿ぎ、皆さまの2012年が楽しいこと嬉しいことに満ち溢れた幸福な一年でありますよう、心より祈念いたす次第でございます。私の好きな方々が各々の芸道にてずんどこ活躍されますよう、そして私がもうちょっと真摯に日々を生きるよう、龍神さんよ、ひとつよろしく。

さてご挨拶もそこそこに。
1月2日に実家から現住所に戻ってきたらライフからあけおめレターが届いておりましてね。わたくしまず最初にハガキを見たんですが、床に倒れ込んでずざーっと滑りました。年頭から驚きすぎた。
でもでもだって……!
泉鏡花『天守物語』 ってぇぇぇぇぇ………………どんな蛮勇だ正気か本気か大丈夫かきみたち!!
エイプリールフールは4月1日だぞ、1月1日は元旦ってゆってなあ、一年の計が問われる日なんだぞ!

てゆうか、いやあれ? 私は鏡花作品を心の底から愛してて、ライフでもやってくれないかなー、なんて前から言ってたんじゃ…………いや、言ってたっけ、どうだっけ…………?(爆)
鏡花は大好きだしライフも大好きだけどライフが鏡花ってのはぶっちゃけ率直に忌憚ないところを言ってずいぶんと心配だわ!(読点なし)
いやほら、あの人ら和装所作の訓練とかはしてなさそうだし、基本洋物が得意でしょう?

やーあのねえ、こないだ新国劇で篠井さんの『天守』 観たときにねえ、胸の奥底でこりゃヤバいなと思ったのですよ。そう遠くない将来、日本では鏡花作品はまともに上演できなくなる危険がある。ファンタジー系奇抜アレンジ入れないで、大真面目な正攻法では。
お女中たちの裾捌きとか、台詞回し――言葉の――なんていうのかな、発語の仕方。
語感というか、呼吸? ニュアンス? なんか、もうあれなのよ、私ら世代とか現代人には鏡花時代の、あの言語感覚のコードが身体に入ってない。
だからねえ、女優さんたちみんな多分すごい達者な役者たちで、訓練された身体と鍛えられた喉で、現代劇とか洋物だったら十二分に素晴らしい人たちだろうと予測されるんですが――しかし和装で鏡花は。演技の上手い下手の他に必要とされる――なんて言うんだろう、前提条件がある。かも。江戸由来の皮膚感覚が、たとえ考証無視のファンタジーアレンジで立ち上げるにしても。

まあそれでね、でもきっとライフ版はがっつり和装じゃなくってファンタジー系にするんだろうなあ、その方がきっと無難だけど同時にいささか残念だなあ、しかし無器用に着物着られても困るからなー、とか何とか言っちゃって、またU野大先生とコラボっちゃったりはしなくてよいのだよ、と脳内軽口叩きながらA4紙の方開いたら再びU野先生とコラボるっていう現実……いや……うん……だからむしろその方が無難…………でもなぜだろう、涙が出てくる…。

でもなんでこれあえて『天守物語』 なんだろうか。いやあのー、ライフっていうのは決して、組織の成り立ちとして、天守向きの劇団ではないと思うんです――っていうのは和装とか時代言語とかの問題ではなく、つまりー…………富姫。
天守夫人ですよ。
そもそも『天守物語』 ってのは、冷静に考えれば、しょーもないストーリーですよ。言葉と世界観の絢爛っぷりは圧巻なものがあり、その美しさに誤魔化されたい気持ちはあれど、だがしかし。いやもう、キャラクターの台詞に込められた美意識とか価値観とかは進歩的で真実で、心の底から感嘆する本当に素晴らしい思考回路で大好きですが、でも展開としては、これてんですっとこどっこいです。

これは、富姫役者がまずありきの、座長たる大御所女優のための作品なのです。物語が上演されたいのではなく、「○○が富姫を演じます」 ということだけが見どころのすべてであるべき、そういう特殊演目です。ということはすなわち、富姫役は誰でもいいというわけにはいかない、ということでもあります。
富姫を演じていいのは、「特別なひと」 なんです。上手いとか下手とか美しいとか醜いとかそれだけの問題じゃなく、座長と呼ばれて大御所待遇なことを誰もが当然のように受け入れる、存在感とか華やぎとか、何かこう、演じる前に既にその場に君臨してるタイプの人でないと。「……だれ?」 って富姫では観ててもつまらんでしょうに。
だからつまりー、上手く説明できないですが、玉三郎さんが富姫をやるので歌舞伎役者が動員されるとか、篠井さんが富姫するためにプロジェクトが立ち上がるとか、加納幸和率いる花組芝居がやるなら当然加納が富姫ですとか、そういう流れで上演されるのは全然理解するんだけども一方で『天守物語』 を上演したいので富姫をこれから選びますというのはまずもって意味不明というよりかいっそ意味がないだろうと思うにつけライフにはいるのだろうかそんな大御所富姫女優(息継ぎなし)――反語ですよ(爆)

良いとか悪いとかではなく、そういう女優がいないというのがライフの特色のひとつだと思うのです。
女形をやりたかった加納幸和がわざわざ起ち上げた花組芝居と、うっかり女優が全員辞めたので已む無く男が女演ってみたスタジオライフと、その成り立ちの違いが持ち味&魅力の違いを如実に表してます。ライフの役者は主役級もチョイ役新人も究極的に倉田作品にとってのコマであり、頭の上がらない先輩後輩上下関係はあっても実は対等な仲間であって、本質的に絶対君主のいない男子集団が描き出すのは、さびしい人間の奥底に隠された無垢なる魂であるがゆえに、彼らの芝居は老いも若きもどこか少年少女めいた印象を湛えていて、どんな関係を描いても良くも悪くも生々しくならない――と思うんだがどうでしょう。
あと、だからやっぱり、彼らの特質が生み出す作風として、女優はかならずしも美味しい役どころではない、ってのがあるから。ヒロインは基本男子枠でしょう? たまに女子主役のをやってみても、いまいちしっくりこなかったりして。女優がヒロインして成功したのは『パサジェルカ(初演)』 とか……あと一応『夏の世の夢(初演)』 も含めるか。

だからねえ、どうせなら『夜叉ヶ池』 のほうがまだしも彼らに向いてると思うんですよ。ストーリーはあっちのがドラマチックだと思うし、白雪姫は天守夫人ほど「特別」 じゃなくてもなんとかなるし、こっちなら晃さんと学円さんの男の友情(ライフ流ちょっと微妙に濃いめ) に百合ちゃんで彩添えて、怒涛のクライマックス劇的悲恋ってライフ得意の展開に持ち込めるのに。しかも半ひねりの特殊系ハッピーエンド。ベテランが緻密に組み上げても、若手が全力疾走しても、泣ける舞台をたぶん、つくれると思うんです――が――天守なんですよね……なぜだ。

まあ過去の例を繙くに、倉田チョイスというのはしばしば、「な、なぜその作家の作品を舞台化するにあたって、こっちでなくてそっちなんだ……!」 と絶妙に明後日方向にズレながらも、実際に舞台を観てみるとなんだか凄いよかった、という結果は枚挙にいとまがない、はず。
だからきっと天守も存外素晴らしい舞台に………………なるのか? いや、してくれ頼む。U野先生もヘアメイク控え目でよろしく(爆)

配役は――どうしましょう、これ。ライフの役者に富姫するような「特別なひと」 っていな――いや待て。
待てよ?
いない、わけではない、かもしれない厳密には。いささか消去法めいてるけど「特別なひと」 はいる、ことはいる。ただ――それが富姫役者かというとそうとは思えず、というよりかそもそも基本的に女優枠じゃないってのが問題点なだけで。でも、劇団内部と客席含めて、大御所待遇が自他共に納得ずくな特殊な存在感といったら――山・本・芳・樹………なのでは!? (待てーっ)

いや…………(絶賛想像中――「あの方を、私に下さいまし」――)……………うん、その、悪くないと思うんだけど、個人的にはすごくいいと思うんだけど、喜ぶの私しかいない気がする…………(自省)

ということで、私による、私の、私のためだけのライフ版『天守物語』 配役。オールスター編。

天守夫人、富姫 → 山本芳樹
姫川図書之助 → 曽世海司
猪苗代の亀姫 → 及川健
奥女中、薄 → 林勇輔
朱の盤坊 → 石飛孝治
舌長姥 → 倉本徹
近江之丞桃六 → 山崎康一

――え? いくらなんだって偏りすぎてるって?
まあねえ、そこらへんの熟練職人集団を用意するのなら、及川富姫と山本図書之助で永遠の少年少女めいた千歳百歳にただ一度の初恋物語にする方が無難よねえ。山本芳樹という役者の特質を鑑みても、「帰したくなくなった」 よりは「おてむかいいたします」 の方が似合った台詞です。
ということでジュニ1勢揃い編。

天守夫人、富姫 → 及川健
姫川図書之助 → 山本芳樹
猪苗代の亀姫 → 深山洋貴
奥女中、薄 → 林勇輔
朱の盤坊 → 曽世海司
舌長姥 → 倉本徹
近江之丞桃六 → 山崎康一

――え、若手? ジュニ7はどうしたって?
ううううう〜〜〜〜〜ん…………ぅわかりました。若手アイドル編。

天守夫人、富姫 → 三上俊
姫川図書之助 → 堀川剛史
猪苗代の亀姫 → 松本慎也
奥女中、薄 → 林勇輔
朱の盤坊 → 冨士亮太
舌長姥 → 原田洋二郎
近江之丞桃六 → 山崎康一

とにもかくにも、何がなんでも、譲れないのが林さんの薄さんと、山崎さんの楊枝削りです。あの他愛なさすぎるしょーもない話なくせに難易度ばっかり高い戯曲がライフでまともに成立するとしたら、この二人がここに配置された場合に限ります。林さんは富姫でなく薄の人ですよ、断固として。
なお、山本富姫の相手役として堀川図書之助というのはアリですよ。
また三上富姫なら荒木図書之助とか仲原図書之助ってのも選択肢です。
及川富姫に松本図書之助とかはできたら回避の方向で。
朱の盤坊と舌長姥は実は候補者はたくさんいます。船戸朱の盤坊、お久しぶり前田朱の盤坊、篠田朱の盤坊、奥田朱の盤坊。藤原舌長姥、牧島舌長姥、奥田舌長姥、緒方舌長姥。
ふなみんが残ってたら、舟見富姫ってのは好き嫌いともかくアリだったろうなと思う。というか消去法的にベストな気はします。吉田隆子ちゃんとかもね、上手に育成したら富姫役者になったかもしれないのに。

――あ。
困ったときの新納慎也で客演富姫ってのはどう?(図書様は山本芳樹、キスシーン必須が契約条件)


てなわけで、今年もゆるゆると阿呆なことを放言してゆきますから。いずれもさまには何卒ご容赦のうえ、よろしゅうおつきあいくださいね。
この記事のURL | はなぐるま | CM(2) | TB(0) | ▲ top
褪せないセピア色
2011/12/30(Fri)
誰に告げよう 変わらぬこの想いを

年末ですね、こんばんわ。
神奈川県民ホールの記録を完成させる前に武道館が両日終わって更に数日経っているという今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は連日夜な夜な年末大掃除に取り組み、重曹とクエン酸と水その他で手の皮膚がズタボロです。マジにあかぎれができててすごい可哀想なんですが、綿入れのもんぺとか穿いてて(無印良品謹製)、これもうどこのおしんって感じです(笑) ――あのもんぺ素晴らしいよ? 超あったかいよ?
掃除的には一応ひと段落ついたので、そろそろいい加減種々レポートも進めて行かねばなりません。カナケン記録、武道館記録、tpt『プライド』 所感、『オペラ座の怪人』 25th 記念のロイヤルアルバートホールのやつ(映画館で視聴) の所感など、やらねばならんことが山積しているのです。『OZ』 へのツッコミにはいつになったらたどりつくのかさっぱり解りません。

ともあれ千里の道も一歩から。アルフィー秋ツアー、神奈川県民ホールについて、相当忘れてますけれども、記憶をたどっておこうと思います。

そんなわけで、私の大好き神奈川県民ホール。春ツアーに行かなかったので、ご本家ライブはかなり久しぶりでありました。久しぶりだけど、当然のように彼らは何の変わりもなくて、いつもどおりにそこにいたからすごい嬉しかったです。
幸福というものの、ひとつのかたちだと思ったな。とても、とても幸福なステージだった。あんなに長く笑顔でいたことなんて、思えばここ最近ずっとなかった。腹筋よりも顔の表情筋が痛くなるような、そんなライブでしたよ。

それにしてもね。
なんか私はライブ中通して盛大なノロケを聞かされたように思うんですがね、気のせいでしょうか。なんつーか、選曲がすでにノロケている。それを高見沢先生がMCで後押しするし。なんだよもう、「青春のすべてにいつも君がいた」 って!
「その腕を二度とは離さない」 って! 「君の優しさのすべて今だからわかるのさ」 とか言っちゃって。「いつでもALWAYS変わらぬ気持ちを君だけのため」「誰も知らない君だけの僕がいる」「一人だけでは夢は追えなかった 君がいたから辛くはなかった」「夢の終わりに残るものは ひとにぎりの愛と君の微笑みでいい」――どうです、大したノロケでしょうに。
『いつも君がいた』 に入る前に高見沢さんが「これはもともとは男女の歌だけど、でもこれは俺たちのことだなと思って」 なんて言ってたりして。「ふたりの顔が思い浮かぶんだよ」 って。そうだね、あなたたち、青春のすべてにいつも「きみ」 がいたんだよね。うらやましい。

定番の必須楽曲は冒頭に怒涛の勢いで片付けて、ぬるいトークコーナー(なぜか今回ここで台本あり) を経て中盤以降が、今回素晴らしいセットリストとなっておりました。私の好み的に、激烈どストライク。
過ぎ去った青春系ソングの連打からぐいーっとひねる構成で難易度E大作系の畳み掛け。
あーもーなんか、桜井さんイジメを導入にした『リバプールから遠く離れて』 から以降は全部どえらい大好きですよ。なのですごい嬉しかった。遠い青春の日々シリーズはほんと名曲揃いなのです。『もう一度君に逢いたい』 とか、すごい好き。本当に正直なところを言うと、『LOVE』 に収録のアコースティックバージョンが一番好きだけど、でも演ってくれるならこれで充分に嬉しい。『いつも君がいた』 は新アレンジがどんたけお洒落かは難しい判断ですが、そもそも曲自体が愛おしくてならんのでアレンジはどんなでも良いです。歌詞の一言一言がノスタルジーでもうたまらん。そこに加えて高見沢さんが「おれたちのことだ」 とか言うから。

『ペイヴメント』 はただすけピアノと高見沢ボーカルの絡みが心底素晴らしかったです。彼らは良い。本当に良い。実に珠玉の相性です。他の楽器が入ってくると邪魔な気すらするよもはや――これピアノバージョンつくらんか?
出色の出来は『孤独の影』 だと思いました。なぜこの局面でこの曲か一瞬謎な気もしつつ、でもこれはこれでやっぱり、時世に寄り添っているようにも思われて。あと、ライブで演奏されるからこその、立体感とかが。底のないインナーワールドめいた世界観の奥行き。さらっと乾いた坂崎ボーカルに、両サイドからコーラスが被さってくるときのあの肌触りがなんともSFファンタジーです。
『AUBE』 はもう、冴えわたる高見沢ボーカルが心地よすぎです。あの超絶ハイトーン。歌詞とかもはやどうでもよくて、あの声そのものがイメージさせる、世界のはじめに真っ先に差し込む太陽の、強い白光。

続く『DNA Odyssey』 も高見沢超絶ハイトーンが挿入されてる逸品ですが、これも気持ちよく出ててよかったです。しかし――これ凄いよね。震災だ原発だって慌ててつくらなくても、手持ちの中にすでにこれがあるってのが。芸歴の長さがここに到ってめちゃめちゃ物を言っている。
「遠い昔 誰かに科学を与えられた」「でも権力と欲望が科学を悪魔に変えた」「破壊されてゆく自然に誰もが気づかなかったのさ」――ってこれ。うひゃーって。思うよね。いや別に高見沢さんが何も特別に未来を予見してたわけではなくて、単にありがちな、いつの世にも普遍の人間の業を書きだしているだけなんですが(そして当時的には高度経済成長への警鐘として唱えられた言説の流れにあったと思われるわけですが)、だから我々人間はいつだって変わらず愚かで弱い生き物だということに他ならないだけなのですが、いやそれにしても。連なる言葉がどれもこれも、ああ現状。
こうして時代に「ぴったり」 を持ってくることのできる彼らのキャリアはさすが。
高音域で挿入される高見沢ソロフレーズは、これはまさしく彼の祈りであるのだけど、しかしその声はまっすぐに成層圏突き抜けて天上の神様の胸ぐら掴んでダイレクトに耳元に叫ぶような、そんな祈り方です。この人ほとんど神様相手に恫喝してるよ…(笑)

『孤独の影』 で心の内の暗鬱に寄り添い、『DNA』 で罪を糾弾しつつ神を恫喝し、その流れからつづいて『Neo Universe』 第一部で新しい世界が始まるという構成はなかなかドラマチックと思いました。聴き慣れるとこの曲はけっこう高揚する曲ですね。サビでぱんっと炸裂する弾頭のような桜井さんの声が心地よい。

アンコール1曲目の『You Get Run』 はイントロのピアノがかっこよすぎでした。『ディスタンス』 のイントロもかっこいい。一番ラストにやった『See You Again』 は最初から最後までかっこよくって、ただすけのピアノはアルフィーのチケット代に含まれてよいです。
そうそう、イントロのかっこよさといえば、冒頭にあった『Let It Go』 のイントロが壮絶にかっこよかったです。坂崎ギターがもう! 私の最もストライクゾーンな音で鳴っていて。しかもエレキと掛け合ったりしちゃって。イントロだけでなく曲中ももちろんかっこよかったし、エンディングも痺れるかっこよさでした。あのギター超すばらしい。
全体に坂崎さんのギターが効いてる系が多くて、私的には坂崎祭りの感がありました。衣裳も可愛いのいっぱい着てたし。チェックのジャケットにネクタイとか。赤白ラグランもかわいかったし、グレーのスキニーに袖と同色のブーツもキュートだったけどあれはかなりシークレット仕様と予測。

『夢の終わりに』 のイントロが鳴ったら、私はそれだけで幸せでした。でもこれ少しびっくりしたな。凄く違う、今までにない響き方をする『夢の終わりに』 だったので。透過光で清らかで真っ白な、天使の羽みたいな曲ではなくて、なんというかとても、強い『夢の終わりに』 だった。力強くて骨太で凛々しい。
やわらかで優しい、包み込む愛情よりも、今必要なものは土をしっかり踏みしめる、もっと強い力なのだということです。いやそれにしても、こんな風に歌われ得る曲だとは思ったこともなかったので、けっこう感銘を受けました。
最後の『See You Again』 も強い曲でした。彼らの、祈る強さや願う強さや私たちを受け止める強さが頼もしい。


途中のトークは坂崎さんの担当コーナーにも台本が浸食しておりましたが、なぜでしょーか。彼らは台本ないほうが一層笑えるというのに(爆)
しかし桜井さんが坂崎さんに「なに言ってんの、オチビちゃんv」 と言ったのには正直萌え心が発生したことを、ここに告白しておきたいです。んでもって坂崎さんが桜井さんに「バカまさ」「バカさく」 と呼ばわったあたりもちょっと心躍りました(なぜ…)
アンコールではなくここにグッズ販促のコーナーが差し挟まれており、桜井さんがドーナツと煎餅をラップ調で宣伝しておりましたが、高見沢さん曰く「おっぺけぺーのがまだマシ」 な仕上がりだったもよう。まあ、そこそこそれっぽくできてたと思ったけど(笑)

いったい何の話からそんなことになったんだか思い出せませんが、高見沢さん主動で何やら小芝居などもあり。段取り的にはただすけがロマンチックなBGM(たぶん冬ソナ) を入れることになってたらしいのですが、うまくタイミングつかめないただすけ。んで高見沢さんに「おまえとはどーも合わない」 と怒られてましたが――いいじゃん、歌のときに超合ってるんだから。しかし桜井さんあたりから「それはおまえが背中で演技してないからだ」 とダメだしがあったのを受けて、なんかもうものすごい大仰に肩をぴくっとさせてキューを出す高見沢さん。
それでどういう流れの話だか、ともかく横浜でデート的なシチュエーションになり。
高見沢 「(坂崎に) ジョセフィーヌ、キミはどこで何を食べたい?」
坂崎 「…………ヨンさま……これはアドリブ?」
高見沢 「そうだよー、キミの大好きなアドリブだよー」
坂崎 「じ、じゃあ、山下公園!」
高見沢 「――何食いたいかって訊いてんだよ」
坂崎 「肉まん! 小龍包!」
高見沢 「安上がりだなー」
坂崎 「小龍包50個」
高見沢 「そんなに食うのか……」
坂崎 「小龍包一口で食べるあなたが見たいナv それで熱いから、私がチューして半分食べてあげるv」
高見沢 「それじゃあ、もう一人の彼女に訊いてみよう。――(桜井に) タメ」
桜井 「おい、そっちジョセフィーヌで、俺タメかよ」
高見沢 「わかったわかった、じゃあ、ヨネ♪」
桜井 「それ俺のばあちゃんだよ! いいばあちゃんだったよ、太伝治が厳しかったから!」
高見沢 「じゃあ――アオや」
桜井 「馬か!」
この意味不明な遣り取りの間ずっと、冬ソナを引き続けてるただすけ(笑)

各々の音楽的ルーツとしてビートルズの話をする場では、坂崎・高見沢がタッグを組んで桜井イジメ。小4ではじめてビートルズを聴いて、その後いろいろコピーしたと自慢げに語りつつ、桜井さんをチラ見したりして。
んで、「私だってビートルズくらい」 と憤慨する桜井さんに、「じゃあ何か演ってみて」 とリクエストの一曲目は『Come Together』。ギターを持たない桜井さんはイントロから自力で歌う……(爆) 坂崎・高見沢のいじめっ子組はすっかり喜んじゃって、「口で歌った!」 とか素で楽しんでて、さらにもう1曲リクエスト。『ペニーレイン』。あわあわと超テンパりつついっぱいいっぱいで桜井さん歌ってましたけど、坂崎さんめちゃめちゃ爆笑してるという……酷い(笑)
「いやー、このペニーレインは凄かったなあ」 とご満悦の坂崎さんから、次のツアー先までに違う曲をできるようになっておくよう宿題が出されました。「今から宿題はキツいなあ……」 と桜井さん困ってましたが。

販促コーナーを前倒ししたので、アンコールお楽しみコーナーでは『君パラ』 のエンディングを超たっぷりと遊んでました。この君パラはサービス精神満点でしたねー。センターで坂崎さんと桜井さんがワンマイクで、そこに高見沢さんも寄り添ってるし。「あなたの笑顔とてもセクシーよv」 とファルセットの高見沢さんは、歌う間中桜井山に迫り続け、アドリブ歌詞で「あなたの耳たぶ 誰よりも好きなのv」 と桜井さんの耳たぶつまんで、そのままずっと耳たぶにぶら下がってました。んで、「痛いよ!」 と次の歌詞歌えなくなってる桜井さんという、非常に珍しい光景。
エンディングには謎の「妄想ラジオのコーナー」 という枠が入り、「しゃんららんら やりたいよーぉーぉーぉ」 で何をやりたいか募集したお便りを読み上げてましたが。用意されてるおハガキが、桜井さんのだけ超拡大ハガキで笑えます。桜井さんとお酒を飲みたいネタと、坂崎さんに良いカツラ屋を教えてほしいネタと、高見沢さんとご飯食べたいネタ。どこかのタイミングで、坂崎さんがインド象を表現してたんですが、腕で再現する象の鼻の動きが非常に上手かったです。あの人いったい何の技を磨いてるんだ……。なんか、「むかし動物園に花子って名前で出てたの」 とか言われてますよ。
妄想マネージャー棚瀬からのお葉書ということで、良いカツラ屋を教えてほしいという要望には、「マネージャーに毛は要らない」「仕事取ってこい」 と凄まじい名言が飛び出してました。しかし桜井さんは「仕事ない」 って言われたそうです。笑いすぎてキーが解らなくなっているという、珍しい坂崎さんが発生(笑)
坂崎さんは更に、「高見沢さんとやりたいこと」 のハガキを読もうとして盛大に噛みまくり、「色が白くて豆腐ばかり食べてそうで小食そうな云々」 と言いたいところを「ショーショクショー……ショー……ショー、ショク、ショーショク―――」 ってな感じになってて「おまえ大丈夫か」 と台本制作者から突っ込まれたり。「ショーショク」 って都合30回くらい言ったですよ。途中舌の運動で早口言葉とか言ってみるんですが、それは器用に言えてるのに「小食そう」 が言えないって(笑)

終わりのMCでは高見沢さんがとても真剣に、「おれは敢えて、がんばれって言いたいんだ」 と言っていました。うん、そうだね。この人は、いつも全力でがんばってきた人だものね。がんばれって応援の言葉の価値を、本気で肌身で知ってるんです。いい人だ。本当にいい人です。
このツアーはどの曲もとても強い曲として歌われていて、腕を掴んで前へ前へ引っ張ってくれるようなそんなステージで、彼らはやっぱり大人だなと思ってました。いやすごい、子どもみたいなバカなこともいっぱいやってるんですけど。
ということで、武道館編へ続く――?(年明け?)
この記事のURL | じんちょうげ | CM(0) | TB(0) | ▲ top
虫愛づるとのばら
2011/12/11(Sun)
霜月も終わりに向かう軽井沢。オフシーズンの避暑地の夜はしんしんと冬枯れて、星すら控え目なびろうどの空。湖のほとりには一軒の洋館がひっそりと建っています。冷えた空気の中に、窓からこぼれる橙色の灯りばかりがほんのりと暖かく。寒々と凪いだ湖面を横に見つつ、湖畔の小道を紳士淑女らがふたり、みたりとうち連れ立ってひそやかに集い、この古い木組みの山荘へと吸い込まれてゆきます。
内へ入ればメインのホールも小ぢんまりと慎ましく、天井には真鍮製の、燭台といった方がしっくりくるようなシンプルなシャンデリア。ガラスポットを置いた飾り棚に、古風なシェードのかかったランプ。壁に打ち付けられた、水牛の頭、鹿の髑髏。正面の暖炉では赤々と炎が燃え、ぱちぱちと薪のはぜる音が――思ってた以上にデカい(爆)

ばっちばちとはぜまくっててけっこうびっくりなんですが、しかも煙突が詰まってるんだかなんだか、室内けっこう煙かったりして、ロマンチックな生活って意外に厳しいとか思いつつ、なんだって私がこんなムード感たっぷりな夜の集会に参加してるかというならば。まあこういうわけなのです。

観てきた、つうか聴いてきたもの。
軽井沢高原文庫秋季特別展 朗読会 『ヘッセ&マンボウ 俳優3人で朗読とおしゃべり――「少年の日の思い出」』 @軽井沢タリアセン内 旧朝吹山荘 睡鳩荘

んでこの、暖炉の前に並べられた木製の椅子に坐って朗読をする3名の俳優というのがつまり。
俳優1:矢代朝子 俳優2:坂本岳大 俳優3:山本芳樹

ことの経緯はさっぱり不明なうえに、ライフの公式ではいつまで経っても告知されないので、はたしてこの山本芳樹とは本当にあの山本芳樹のことなのかいささか不安になりつつも、まあ、行かずばなるまいよ、と。小旅行かねて行ってまいりましたがな。
それにしても、岳大さんてライフ(のシェイクスピアもの) にたくさん出てるけど、山本さんとの直接の絡みは実はほぼほぼないと言ってもいいくらい少ないよねえ?(新納比) いったいぜんたいこの組み合わせはどこから発生? 岳大さんの相棒と言ったらジャイアントポッキー岩崎大じゃん? とか思っているところへ、当日配布のプログラムの片隅に、「台本作成」 として矢代さん岳大さんに混じって「岩崎大」 の名前がある……? これはいったい?

ともあれ。
朗読のコンテンツは先ごろご逝去なされた北杜夫氏の作から『秋なく虫』『詩人の蝶』『まんぼう、憶い出を語る』、ヘルマン・ヘッセの作から『少年の日の思い出』。合間合間に読み手3名の軽いトークを挟みつつ、晩秋の夜は更けてゆきます。
内訳は、『秋なく虫』 の地の文の読み手は矢代さん。途中の国家声明的な部分を岳大さんと山本さんが声色をくるくる変えながら過剰演技で彩って、パロディの面白さを立体化してみせます。(東西冷戦風に過熱する米露のコオロギ育成対決。日英仏なども“らしい” ニュアンスの声明を発表)
『詩人の蝶』 と『少年の日の思い出』 は地の文含めた一人称を山本さんで、岳大さんと矢代さんが登場人物の台詞参加。『少年の日の思い出』 の冒頭は朗読でなくアクトつきの小芝居で入りました。会場の雰囲気が情景にぴったり合っててすごい良かった。
『まんぼう、憶い出を語る』 は3人で章分けしてリレー読みですが、矢代さんと岳大さんの比率が多め、という感じでしたか。

『詩人の蝶』 というのは、偉大なる詩人ホメロスを捜して諸国を旅する古代ギリシアの若者が、ついにとある小島でそれらしき老人と邂逅するものの、老人はヨイヨイでボロボロで納屋とかに黙って寝てて小汚くって、ありゃこりゃ違ったかなただの小汚いじーさまだったかな、と思ったところで納屋の中にさあっと陽が差し込んだ瞬間、じーさまが不意に「……オデッセイ……!」 と呟き、その口元に得も言われぬ美しい蝶が止まっていた、っていう短い挿話なんですが。
いやこれ素晴らしかったです。何が素晴らしいって、偉大なる老詩人“かもしれない(し、そうでないかもしれない)" じーさまの呟く「オデッセイ……!」 が。

それはまさに、長らく使っていなかった声帯が震わせる、掠れた小さな呟き。山本さんてこういう、不意の一言みたいな短い台詞を本当に上手に発語する。
その一言は単にたまたま偶然、ホメロスでも何でもないただの小汚いじーさまの口から漏れ出た意味のない呟きなのかもしれない。あるいはもっと深淵な、老人の遥かなる来し方が込められた、人生という長い旅路を思っての、慨嘆かもしれない。そしてそれは大詩人の代表作『オデュッセイア』 と、関係があるのかもしれないし、ないのかもしれない。
証拠はない。何ひとつない。
けれど、それは確かに奇跡的な一瞬なのです。「オデッセイ」。日射しと蝶とを含めて、神秘の瞬間がそこに到来したことを、一言に凝縮してみせる。一人称の若造の魂をがつんと打ちのめしたであろう、何か、大いなる真実が。

いいですよねえ、こういう、確かなことは決して明言されないまま、何かの可能性だけを暗示して幕とする作品って。
大ちゃんから山本さんへ代わったということで、作品も当初予定していたものからこちらに変えたということでしたが、しかもその理由が「イメージ的にあんまり虫が似合わない」 みたいな主旨の矢代さんのお言葉でしたが……この人はまたいったいどういう認識をされているのだろう……。

そしてヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』 の方は、これまた超直球で山本芳樹の本領フィールド大全開でした。蝶の標本蒐集をやめてしまった男が少年時代のほろ苦い思い出を回想するという短編なんですが、もうこれ素晴らしい。超素晴らしい。
蝶が大好きで標本作成に情熱を燃やす「ぼく」 が、隣家の蝶蒐集少年エーミールが激レアな逸匹を捕獲したと聞きつけ、どうしてもその蝶を見せてほしくて、人間的にいまいち苦手な彼を勇気振り絞って訪れたところ本人は不在。しかし部屋の扉は開いていて、彼は蝶見たさにこっそりと入り込んでしまい、件の蝶が標本になるべく乾燥させ中なのを発見して一人でつくづくと眺め、模様を全部見るのにテープが邪魔なので剥がしてしまったりして、そうしてその美しさにすっかり心奪われてしまって、どうしてもどうしても欲しくなってしまうという。そっと両手の中に蝶を包み隠して部屋を出てしまったりして。廊下でメイドとすれ違って慌てて蝶をポッケの中に押し込んで、それで急に彼は自分の犯した罪に恐怖を抱くんですな。結局エーミールの部屋に戻って、蝶を元のところに返そうとするんだけど、ポッケに押し込まれた蝶はしかし、翅がぼろぼろに壊れてしまっているという。帰宅したエーミールに謝罪したけれど、壊れてしまった蝶の翅のように、もうどうしようにも取り返しのつかないことがある。エーミールが「ぼく」 を見た軽蔑の目。すごすごと家に帰った「ぼく」 は、自分が大切に愛してきた蝶の標本をひとつのこらず自分の指で押し潰して、それっきり蒐集はやめてしまうのでした。
――っていう物語なんですけども。

どうです? 軽井沢に行かれなかった方々も、これがいかに山本芳樹向きの作品であったか、容易にご想像いただけましょう。
だって。少年で孤独で罪の意識で後悔ですよ。痛みの記憶ですよ。フル装備です。
蝶を盗み出して以降のあの様々に揺らぐ心の震え。悪いのは絶対的に自分で、エーミールは正しくて被害者で何もかもが自分の咎で、申し開きの余地なんてどこにもない。己が罪びとであることを深く胸に刻み込んだ少年の憐れさが、嗚呼、山本芳樹の真骨頂。

ちょっと粘着質で嫌味な雰囲気の岳大エーミールも真骨頂だなと思われました。
っていうか、こうやってちゃんと朗読とかすると改めて、岳大さんて声いいですよね。腹の底からぐっと出てくる、鍛えられた発声で。『少年の日の思い出』 の冒頭部分でちょっとだけ小芝居したときの、ランプと暖炉の灯りだけの仄暗い室内の片隅で、岳大さんが山本さんに蝶の標本を見せてる光景に、あららら意外とバランス良いじゃん、とか思ったのでした。ゴシック小説風の時代がかった佇まいで。ひっそりと、どことなく淫靡な空気すらあるような。

矢代さんの、お母さんの台詞がひとつとても印象的でした。エーミールに謝りにいかなければいけないと、解っていながらも勇気が出せずにいつまでも庭先でぐずぐずしている「ぼく」 に、「今日のうちでなければいけません」 って。
そう。そうなんです。その日のうちでなければいけないことというのがある。その日のうちであったって、取り返しがつくとは限らないけれど。それでもせめての誠意として、そうしなければならない。

会場にはこの作品を新しく翻訳したどこぞの大学の先生がいらしてて、ちょこっとスピーチしてくれたんですが、このお話がなんだかなんとなく良かったな。何がどうというわけでもないのだけど。
先行する訳は教科書にも載っちゃってる日本語版の超スタンダードで、彼の恩師が翻訳したものだったのだけど、蝶ちょ的にしばしば誤りがあったりして、しかし尊敬する師匠のミスを暴くような真似は畏れ多くも忍びなく、不肖の弟子たる己はこのままにしておこうと思っていたけれども、とある異国のミュージアムでの企画展を機会に、勇気を出して新訳を出すことにしたっていう。その話がなぜだかとても、ほっこり良いなあ、と思ったのです。あの先生の語り口調のせいかも。

朗読の合間合間のトークでは、どういうわけか山本さんは矢代さんから「センセイ」 と呼ばれていたのですが何故だろう……。いったい何が、彼女をして彼を「センセイ」 と呼ばしめたのだろう……。そして山本さんの方では矢代さんに微妙にツッコミ対応……。あちらのが先輩なのに。

そのトークの中で企画の経緯なども語られたのですが、その過程で判明する事実。つまり、当初は山本芳樹でなく岩崎大が出演の予定であり、夏頃までは3人で一緒に企画練ったり練習したりしてたのだけど、しかし都合により出られなくなってしまってどうすべ! という状況下で、「天から降ってきた(矢代談)」 山本芳樹大先生――というもようです。
それで納得。岳大さんとコンビなのも、虫ネタなのも、台本作成に大ちゃんクレジットなのも、納得。
大ちゃんはずっと矢代さんのトークの中で「虫好きの人」「虫好きの、山本さんの後輩」 と度々呼ばれておりました。あんたどんたけ虫について熱く語ってたんだ!
大ちゃんが読むのと山本さんが読むのとでは、『少年の日の思い出』 は相当印象が違っただろうなあ。私のような趣味の人間にとっては、そりゃもー芳樹先生で万々歳。罪の味が濃くなる(笑)


それにつけても、朗読はよいですねえ。なにせだって、出る人は基本ずっと喋ってくれてるわけですからねー。ライフも定期的に朗読会とかやればいいのに。中途半端なお楽しみイベントするんなら、私は断然朗読のが嬉しいなあ。それとか戯曲のリーディング公演とか。若手の訓練にもとってもよいだろうと思いますが、しかし、ジュニ2以上の人々オンリーとかでやったら、そりゃもー贅沢な会になることでしょう。妄想だけですでにうっとりv

この記事のURL | すずらん | CM(0) | TB(0) | ▲ top
近況報告とピアノの引き取り手大募集
2011/12/07(Wed)
ご無沙汰しております、まずは近況のご報告など。

目下先月軽井沢で行われた山本芳樹氏ご出演の朗読会について所感を書いておる途中です。
つか、あとちょっとで終わるんだからさっさと書けよ、と自分につっこむ毎日です。がんばります。

同じく先月神奈川県民ホールで行われたアルフィーのライブのもようも、近日上げたい所存です。
私は彼らを本当に大好きだと思いました。あんなにずっと笑ってたのは久々だった。

同じく先月観てきた新国立劇場の『天守物語』 は、ちゃんとした感想を上げることはないと思います。
あの劇場の驚異の機構を使い倒した凄い装置でした。篠井富姫は流石で、図書さまが意外にも思いのほか好印象でした。上手くないけど全力投球で、それで袖掴まれて「あなたのお手にかけてください」 とか言われたら、そりゃー姉さんほだされちゃう。しかし腰元衆とかに様々な点から疑問が発生しました。

スタジオライフ『OZ』 について、再演の記憶をもとにちょっと語りたいと思ってるんですが、いつ実現するのか不明です。いつの間にか林修司さまのお名前に「特別出演」 の称号が付いていて慄きました。


そしてピアノの話。

我が家に25年くらいずっといるピアノが、処分されることになりました。
このままだと粗大ゴミ扱いです。
DIY 大好きな母は、自力である程度解体処理ができないかなどと、物騒なことを言ってます。
どなたか、古いピアノを愛好されてる方などおられませんでしょうか。
EASTEIN なのです。

黒い猫足の、古くてデカいアップライトです。鍵盤は象牙です。
製造年とか型番とかは実家帰って蓋開けないと解らないですが、我が家にくる以前に既に20年くらい存在してたようです。古いです。超オンボロです。最悪なことにフレームにヒビが入ってます。うちにきたときには既に入ってました。
1度目に頼んだ調律師さんは、怖いから全体を低めに調えとく、と言いました。2度目に頼んだ調律師さんは、怖いから調律できない、と言って何もせずに帰りました。それっきり調律も修理も何も為されていません。
断熱入ってない建売住宅の、防音でもなんでもない冬場は結露するような壁の薄い、台所とひと続きのリビングにどーんと置かれたまま、上にいろんなもの乗せられたり、ほとんど虐待みたいな粗雑な扱いを受けてきてます。
でもずっと弾いてきてて(最近は本当にたまにだけど)、ちゃんと鳴ってた(耳の良い人はあれを“ちゃんと” とは言わないだろうけど)。ズタボロに崩れてはいても、まろやかで耳触りのやわらかい音を出す。鍵盤のタッチも心地よい。

元々の素質は良いけど、現状はたぶん酷いものです。お金かければ修理できるのかもしれないけど、そこまでするほどのものなのかは解らない。
でも捨てられるのはあまりに忍びなくて。しかし実家にはもう置いておけないのです。
このピアノはもともと私のものではありません。本当の持ち主は他にいて、「預かっている」 状態で弾かせてもらっていたのです(その割に扱いが酷いことはつっこまないでください。ほとんど貰ったも同然ではあったのです)。いずれは――たとえば持ち主に孫ができたら、お返しするかもしれないし、あるいは処分するかもしれない。それはうちに来たときからずっと言われてきたことでした。

ピアノを習っているお友だちが羨ましくて、私もピアノが欲しくて欲しくて、ねだりにねだった私のために両親が見つけてきてくれました。当時、貧乏でとてもじゃないけどピアノなんざ買えないって状況下で、どうかこうか娘の願いを叶えようと、けっこう頑張ったんだと思います。親戚の、倉庫だかに眠っている使っていないピアノがあるのを聞きつけて、「借りて」 くれました。
母はねえ、でも多分すぐに返すつもりでいたんだと思いますよ。当初の見込み以上に長くうちにあるもんだから、困ってるんだろうなと、なんとなく知ってはいた。実際うちはあんなもん置くには狭いしね。彼女の理想のインテリアを作ってく上では邪魔極まりないんでしょう。母と持ち主との間で時折もたれる「このピアノをどうするか」 という相談は、常に「返す、または処分する」 の二択でのみ語られていたように思います。「永久にうちで貰い受ける」 という選択肢は、たぶん絶対に、なかった。

ともあれ、以来ピアノはずっと私の傍にあり(いつも弾いていたわけではないし、まじめに練習してなかったけど。その辺あんまドラマチックじゃないけど)、まるで私のもののようでもあったけれど、でもそれは決して私のものではありませんでした。借りているものだ、という思いが常に私の心の片隅にありました。
持ち主に孫はできたけれど、結局お孫には新しいピアノが買い与えられ(つーか幼児があれで練習したら音感狂う)、でもやっぱり惜しい思いはあったのでしょうね。「返すのか処分するのか」。新しいピアノがあるのなら解答はひとつしかないのですが、ずるずると、明確な結論は先送りにされたままピアノは我が家にあり続けました。

それが一体どんな話し合いによって急に決着を見たのか私は知りません。ピアノをめぐる話は常に私の頭上を通過して、結果だけが伝えられてきた。私も、それが私のものでないから、何の主張もせずにきました。
昨日、実家に帰っていた私に母は、一昨日の電話で先方がついに処分する決心をしたことを告げました。来るべき日が来ただけです。私はそれを、仕方のないことだと穏やかに受け止めました。
いつどんな風に処分するかはこれから決めるのだということで、しばらくは変わらず我が家にあるものの、近いうちにはね。こんな修理できないピアノは買い取ってももらえないだろうから、捨てよう、って。良い板つかっててもったいないから解体して机を作れないかな、と言った母の言葉はたぶん、私の気持ちを慮った優しさであって、それが物凄い残酷なことだとは思いもよらないのです。

残念なことだけれど仕方ない。ただ、気づいたら運び出されてしまった後だった、ということになってはさすがに悲しいので、弾けるうちに弾いとこうと思って、現住所のアパートへ戻る前にちょっとだけ弾いてたんですけど。そしたらどういうわけか、『悲愴』 とか弾きながら、我ながらちょっとびっくり、ばかじゃないの? というくらいすごい泣きました(笑)
いやその、悲しくてとか悔しくてとか、そういう明確なアレではないんですけども。納得ずくの、もともと解ってたことがいよいよ現実味もって迫ってきただけだから。ただなんか、涙流れて止まらなかったですよ。部屋に戻ってもずっと泣いてた。あんまり泣くんで、ちょっと母を慌てさせたもようです(笑)
想い出が溢れて、とかそういうロマンチックな現象でもないのが自分的に少々残念なところですが、たぶんねえ、個人的な感傷というよりかは、古い美しいものをみすみす喪わせることを惜しんだんだと思うんですね。私の感性的に。こういう危機を乗り越えて、護られてきたから文化財ってのは貴重なわけですが、それをさ。護り手になるどころか、処刑人になるなんて。

泣きながらね、このピアノは今日はじめて、私のものになったんだなと思っていました。ずっと預かり物だったけれど。持ち主が捨てるのなら、それなら自動的にこれは私のものです。処分が宣告されたことで私のものになるなんて、奇妙な話なんですが。でも、私のものなら私の自由にしてよいのだと。気づいた。
今まではね、他に嫁ぎ先を探すとかそういうこと、勝手にするわけにはいかないと思っていたのだけど。返す可能性がないわけではなかったし、あくまでやっぱり他人様のものだったから。
でも私のものならば、私が動こう。ちゃんと、遺せる道を探そう、って。私にしたら珍しく真面目なことを思ってしまったのですよ。

そのようなわけで、こちらでも募集をしておきます。
イースタインのアップライトをお探しの方。状態はいささかアレですが、ご興味あればメールフォームからご連絡ください。
いやむしろ、イースタインとかヴィンテージピアノとかで探してない方のがいいかもしれないです。なにせ状態がアレなので。状態に拘らず、ただピアノが必要という方のがいいかも。お子様のレッスン用には音感育成のために不向きなのでお勧めしませんが、たとえばおらが村の公民館にはピアノがない! とか。

もし、ちゃんと修理をするおつもりなら、費用は私も供出したいです。ピアノは私の手元になくて構わないのです。どうせろくすっぽ弾かないのだし、我が家にあっても過酷な環境下で邪険にされるだけなのです。大事なことは、あれがこの世から喪われずに、ずっと残ってゆくことです。
年の瀬、拾う神を求めています。皆さまも周囲の方にがんがん喧伝してください。
気にして下さる方からのご連絡を、心よりお待ち申し上げます。
この記事のURL | 千代木 | CM(3) | TB(0) | ▲ top
愛と追憶の日々
2011/11/10(Thu)
外部出演つづきます、山本芳樹氏ご出馬により観てきたもの。

プリエールプロデュース『おしるし』 @赤坂RED / THEATRE

事前情報的におそらくヨガ講師(イケメン) 役が山本さんなのだろうな、と予測されており。産院を舞台に繰り広げられる人情劇場な(予感でいっぱいの) 舞台において、その役どうなの美味しいの!? というのが最大の気になりポイントなのでありました。たのむよ隆子、優れた作品の美味しい役を取ってきてよね? ワンプレートランチの中の彩りのプチトマトみたいな扱いはやーよ? って何もかもかの制作氏を黒幕扱いするのも如何なものかと自らツッコミつつ。
さてその実態は。

たいへん! 山本さんがリアルに普通の色男な扱い! どういうこと!?
ヨガ講師(イケメン) とは観る前の客をミスリードする仮の姿。もちろんヨガ講師もやってたんだけど、そっちよりはヒロインの回想の中に出てくる追憶の恋人こそが、事実上の彼に与えられた役どころであったのでした。
ヒロインの相手役=王子さま、というのが今回の待遇です。……あれ、今回も? レモンライブからこっち、ずっとそんな感じ? 隆子の山本認識ってちょっとおかしくない?(だから隆子の差し金なわけでは決して……たぶん……)

ともあれ、王子さま要員として招聘の山本さん。安定的高収入ありそげな、妻子あり、囲い女ありの人生勝ち組な“いい男” をへにゃへにゃと好演――って、そんなばかな!
役柄の設定は冷静に振り返るとおそろしく衝撃的です。妻子ありな段階で既に唖然。その上で他の女と不倫関係というシチュエーションはさらに茫然。っていうか、年齢の問題でなく実質が「大人の男」 ってあたりがもう、なんてゆうか、驚天動地でもはや珍奇(爆)

なんかでもね、観てる間は自然にするっと観ちゃってた。似合わねーなとか嘘くせーなって印象はまったくなかったのです。「そんなふうには見えないけど」 ってニュアンスごと込み込みで、その佇まいには妙に不思議な説得力があるのでした。
ああこれはモテる男だな、と思ったのです。しみじみ。あの卓司さんは確実に。
日本人の趣味嗜好は伝統的にこうだよ。こういう男が実はモテるんだよ。へにゃっとして、なよっとして、インドア志向で、逞しさゼロミリグラムで筋肉とか根性とか無縁で、ただ優しいだけの。「男のくせに云々」 って描写がいくつも並びそうな、女の腐ったみたいなへなちょこな甘ちゃんがなぜだか一等モテる。歌舞伎にもそんなん大量に出てくるし、光源氏の昔から――いや昔男な業平くんだってたぶんそういう雰囲気。イザナギとかも実はもしかしてそれ系なんじゃないの、みたいな。
女は度胸、男は愛嬌、が我が国の伝統的な恋愛スタイルであるからには(断固として逆ではなく)、山本芳樹演じる卓司くんの在り様はまさに超ど正道の「恋人像」 であったのかもしれません。しかも不治の病で早く死ぬ(微笑)

というわけでヒロインの相手役な王子さま要員の卓司さんが山本さんの本役であったはずであり、ヨガ講師として出てくるよりも回想の中の卓司さんのがボリューム断然多いにも関わらず、観る前も観てる最中も観た後も、「ヨガ講師が本役で不倫相手が裏役」 という認識をしてしまうのはいったいなぜなのだろう……(爆)
なんつーか、あのヨガ講師はあれよ、ある意味山本芳樹の真骨頂よ?
恋人卓司を3倍へにゃへにゃさせて、「男のくせに云々」 を10項目くらい増やして、アホに見えるくらい物腰をやわらかくした結果、いっかな男は愛嬌の伝統をもってしても「ちょっとムリ」 とモテから遠ざかったという珍生物発生。でもああいうヨガ講師(独身、年齢不詳) は実在する気がする。会ったことはないけど、ものすごいリアルさ感じます。

遠く夢みるまなざしで、スピリチュアルな世界に半身突っ込み、太陽を愛し自然を愛し、生命の神秘に涙する、浮世離れ感満載の不思議ちゃん予備軍。ヨガのインストラクターという肩書があれば「ああ〜なるほど」 と納得してもらえるけど、そうでなければ即「心配な人」 です。
この人の台詞回しが凄いんですわ。予測のできない超中途半端な音域をふわ〜っと漂うへろへろヴォイス。どこに向かってんだか解らない、どこに着地したんだか謎な、左投げアンダースローの超低速消える魔球みたいな。あの、なんていうか、実体の定まらない不定形に拡散する声と口調をきっちり決めてくるあたり、彼はやはりただの役者ではありません。つまり、可愛いんですけど。
院長やら料理人やら妊婦たちやらに、いじめられ可愛がられ、たいへん楽しかったです。

そう、でもたぶん、王子さまポジションが裏役なようにもなんだか見えたその真相には、彼は厳密には実は舞台の王子さまでなかったのだという要因があるかもしれません。
一見、ぱっと見、物語のヒロインは重田千穂子さん演じる多喜子さんであり、したがってその相手役であるところの山本芳樹@卓司さんが王子さまなようではあるし、実際書き手もそのつもりで書いているだろうとは思うのです。
でも、本当は、意図的なのか結果的なのかはともかく実質の問題として、舞台の真実のヒロインは小林美江さんの瑠理先生なのでした。これは彼女の物語。だから、本当の王子さまは井之上隆志さんの院長先生だったんです。

井之上さんの存在感は素晴らしかったなあ。まったく小さな個人病院の院長そのものの佇まいで、あの人まさか本職なんじゃないの? などとうっかり思いそうです。いるよ、ああいう医者はいるよ……。ダメなおっさんの可愛らしさというか、やってること言ってることはしょうもないにも程があるていたらくなんですが、でも舞台の上のキャラクターとしては憎めなくて、すごいよかった。場に入ってくるだけで笑い取る呼吸の妙。あの一連の白衣技は素晴らしい! ハゲのおっさんなのになんかカッコイイし。
やっぱあの身長なのか……(いや山本さんが小さくて可哀想といってるわけではなく)

まあでもこの院長先生もそうだし卓司さんもそうなんだけど、都合のいい話だよねえ。男的にちょっとパラダイスなのよ。なんだかんだ言って女が従順でさ。いや従順っていうか、物分かりがいい。たいへんによい。だって男は不実なままでゆるされててさ、女はまあでもそれで仕方ないって納得してくれて悶着しないんだよ? 正妻の座にちゃんと納まって体面保ってくれる妻も、日蔭の身を受け容れてごたごた起こさない外の女も。ごたごた起こしかけた女の場合は無事に遠くへ身を引いてくれるし。
浮気も甲斐性な院長や卓司さんにしてみたら、さぞやラッキー。面倒がなくって人生お楽しゅうございますこと。

って書くとなんだかムカつく話のようですが、観てる間の体感としては決してそんな風には思わないのです。後で冷静に考えてみると、ちょっと「おいこら!」 って状況ではあるのですが、でも劇場の現場では全然。男の傲慢とかそういうアレではまったくない。すごい、佳い舞台だとすら錯覚するような。
たぶん、女性に本気で敬意はらって書いているので。女性は強い!男はだめだけど。女性は凛々しい! 男はだめだけど。女性は素晴らしい!男はだめだけど。女性は神秘! 男は俗物ですんません、もーだめ全然かなわない! みたいな敬虔な気持ちで、真摯につくられたものであるに違いなく、だから川端康成読んだときみたいなイラっと感は覚えないし、男のロマンがうっかり丸出しになっててもみっともない風には思わない。
うまくできている、ということなんでしょうか。まあそれとあれだ、そもそも主題が「出産」 とかって反感持ちにくいなかなかズルい素材だし、客席の女性陣もおおむねそこに「きゅーん☆」 とかしてしまって、目くらましにあってるのかもしれません。

物語に出てくるのはみんな強い女性ばかりです。自立してて頭よくて、手に職も主義主張も確固たるものがしっかりあって。そりゃあさ、男なんかにべったり寄っかからなくったって自力でどうにでもやっていけるから、だから面倒なんてかける必要がないんでしょうけども。
だけどもさ。強い女てぇのは、寂しい女なんです。
だから、女が強がってるのをいいことに、他の女ともよろしくやったりしないでよ。平気っていうのはフリだけなんだから。

あーしかしこれ、田村さんの作風なんでしょうかね。私まえにONEOR8 の『絶滅のトリ』 って観てまして。ここには感想とか書いてないのですが、なかなか佳い舞台で私けっこうハマったのです。ことに、伊藤俊輔氏と柄本佑氏のコンビネーションが実に泣かせるものであり。あの二人の心震えるような魂の交感は本当に大好きだったのですが、しかし彼らを抜いて考えると、あの作品と今作と、基本構造はだいぶ近似なように思われます。
本来無関係な他人であるはずの雑多な人々がわけあってひとつの施設に集い、寝食を共にして疑似家族のように親しく生活する中で、一見わきあいあい楽しく日々を送っているように見える共同体の中に潜む、どろどろとしたいや〜〜んな人間関係の実態が徐々に暴かれていって、そして決戦! みたいな。
――で、そのどろどろ関係ってのが、基本的に不倫。婚外交渉。浮気。二股。『絶滅のトリ』 なんて不倫してる上にさらに別な娘とも関係を持ってた人がいたような。そして当然、妊娠大問題。……田村さん……。

しかもねー、この不倫関係に陥る人たちが、別段ドラマティックな美男美女というわけではまったくないところがこの人の特徴というか、変にリアルというか。いや女優さんとかはそれなりにきれいな人たちではあるんですが、でも役柄として超フツーな、リアルアラフォー女子みたいな雰囲気で作ってるのが大概なので。エエーッ、なんであんたたちー!? みたいな気持ちが若干……。
いやでも現実にはけっこう、そうなんだと思うんですけども。別に顔でアレするナニではないからね(←意味わからない)。ちょっとどうなのよっていう平凡以下のブサイクが狂おしく恋愛するもんですよ、意外と。いや私が世間の何を知ってるってわけでもないんだけど、でもけっこうそうじゃない?

ともあれ。今作の女性陣は軒並み気の強い方々で、本当、強さが可哀想でせつなかったですよ。もうどういつもこいつもプライド高く背中まっすぐに伸ばして、泣いてるくせにぱーって笑うような女ばかりで。凄いね、カッコイイね、頼れるね、ってそんな褒め言葉ばっかり。ドラえもんだの浪越徳次郎だの、そんな賛辞は嬉しいよりも切ないのが本人です。
所詮、つよい女だからね、って。さみしいね。
そういうところをちゃんと見ていて、きちんと拾ってるから真摯な舞台ではあるのだけど、でもやっぱり女たちの「平気」 って言葉に寄りかかりすぎですよ(笑) 平気じゃないから全然! いや解ってるのは解ってるんだけど! まあ彼女たちもね、賢すぎるがゆえにばかなんです。

ところで、小粋にオチをつけた風のエンディングはあれは…………どうなんですか!?
いや卓司さんとサヨナラしたあとで(それがキッパリ別れよう宣言だったのか単に死別だったのか不明)、すぐに若い男と恋に落ちましたっていうのは解る。20年に及ぶ長い恋愛の後だってそういうことは起こりうる。でもそれが新生児の父親ってのはダメでしょー。本当は卓司さんが父親なんだけど若造だまくらかしているってなら倫理的に大問題だし、自分の子ではないけど自分の子として認知するよ! っていう若い熱意で納得ずくなら幽霊卓司のあの様子は腑に落ちないし、ましてや本当に卓司の子でなく若い新恋人の子だというなら、ここまで語ってきた物語が全体で大矛盾さ! それはどんでん返しと呼ばないよ!
でもなんか、ノリ的に上手に「おもしろいオチ☆」 みたいな気分になってしまうのがなんとゆーか、上手いところなんです。ふしぎ。
どうかと思う要素が丁寧に組み上げられて、なぜだか佳い作品になっているという、稀有な舞台でありました。

この記事のURL | すずらん | CM(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン | 次ページ